このサイトの「Road to Ashino」というページを閲覧してくれる人が、一人でもいてくれればと思い・・・。
2016年12月20日の夜、宇都宮のM氏から芦野でガラス工房を開いているT氏が亡くなった、と連絡がはいった。
以前から通院しているとは聞いていたが、そこまでひどいことになっているとは思ってもいなかった。
一月前に、春になったら遊びに行くのでよろしくと話したばかりだった。
後から聞いたところでは、急に体調を崩し、自力で病院にたどり着いたときには、もう手の施しようがなかったとのことであった。
2014年の4月、東京の桜が終わるころ、宇都宮のM氏とともに工房を訪ねた。久しぶりに顔をみるのが主たる目的だったが、できれば彼の作品を写真に納めておきたいという思いもあった。
その日は風も強く、背景も緑の草原とはいかず、なかなか思うようにいかなかった。結局、撮影したのはほんの数枚、それも素人の悲しさだけが目立つ写真だった。
「また、近いうちにあらてめて遊びにくるよ。こんどはちゃんと撮りたいし。」
「ああ、待ってるよ。」
結局、その年の秋も翌年も、翌々年の春も行きそびれていた。そして秋に電話で「来春には」と話したのが、最後の会話になった。
Road to Ashinoに載せた写真は2014年に訪れた際の旧奥羽街道から工房までのスナップで、5枚目は工房の前、6枚目は工房を開いたときに植えた桜、そしてなんとか撮れた彼の作品の写真です。
23日のお通夜に向う途中の白河の関、それまで降っていた雨がやんで高速道路をまたぐように虹がかかったこと。翌日の出棺、晴れ渡った空を背景に冷たい風にのって、小さな雪が突然舞い降りてきたこと、それが2016年の思い出となった。